進撃の巨人 ネタバレ考察

(106)義勇兵

かねてより不明瞭であった、パラディ軍調査兵団によるマーレ都市レベリオ強襲作戦の目的。

それはマーレ戦士長、「獣の巨人」ジーク・イェーガーをパラディに亡命させることであった。

かつてウトガルドやシガンシナで調査兵団と死闘を演じ、直接・間接問わず大勢の調査兵を屠った怨敵「獣の巨人」。彼を見るリヴァイの目は冷ややかだ。

今号では、ウトガルド奪還戦以後、いかにしてジークとパラディ軍が接触を持つに至ったのか、その経緯が語られ始める…。

進撃の巨人 第106話 義勇兵
別冊少年マガジン2018年7月号(6月9日発売)掲載

アルミンの回想

今回は一息入れて回想です。レベリオ急襲作戦が行われた日から3年前。作中でいうと851年頃になるでしょうか。

マーレは国威発揚や軍事力増強のため、またパラディ島に埋蔵されている豊富な資源を求めて「始祖奪還作戦」を決行。虎の子である戦士隊のうち4体を先行投入して3年待ち、さらに増援として2体を送るという、まさに出し惜しみなしのバーゲンセールを繰り広げたわけですが結果は惨敗。「超大型」「女型」をロスト、「始祖」「進撃」は奪えず、帰ってきたのは「獣」「車力」「鎧」と、ユミルが持つ「顎」の4体のみ。マイナス2体の大損害です。

この敗北を受けてマーレは兵士からなる通常戦力をパラディへ送り、「悪魔の棲む島」の調査を進めようとします。ライナーたちは3年も島にいましたが大部分は壁内で訓練兵として過ごしており、島を外から攻めるにはという視点での情報は不十分であったのでしょう。

しかしエレンが持つグリシャらの記憶により、パラディ軍はすでに「敵は海の向こうから攻めてくる」ことを理解しています。海岸防衛にはエレンを配置し、兵団長ハンジ自ら歓待の辞を述べに登場です。対巨人戦術の用意がないマーレ軍の通常装備ではエレン1体になすすべもなく、壊滅は火を見るより明らか。指揮官はやけくそになってハンジに罵声を浴びせながら自殺志願の発砲…と思いきや、哀れな指揮官は背後から部下に撃たれて絶命しました。

マーレの反乱分子たち

寝返ったのはイェレナと言う長身の女性兵士(レベリオでポルコとピークを落とし穴にかけた人物)、それとオニャンコポン(レベリオ作戦で飛行船の操舵手を務めた黒人)たちです。

彼女らの話の要点をかいつまむと次のようになります。

・自国をマーレに征服され強制的に徴用された兵士であり、マーレに恨みを抱いている
・ジークらが持つ巨人の力に感動し、神と呼んで傾倒している
・エルディア人を解放しマーレを打倒するのが目的

彼女らは故郷の小国をマーレに蹂躙され被支配民として屈辱を味わった後、強大な巨人の姿を目の当たりにして打ち震えたようです。現在はマーレに使役されている巨人戦士隊ではありますが、歴史的にエルディアとマーレは因縁があり友好的な関係ではありません。エルディア人に肩入れすればマーレを滅ぼすことに繋がる…と考えたのかもしれませんね。

そこからいかにしてジークの秘めた目的(エルディア復権)を知り、今回の反乱行動へ繋がったのかは触れられませんでした。唯一「彼に導かれた」とだけ語っていますが、今ハンジらとテーブルを囲んで紅茶(パラディでは高級品)を飲むイェレナは極めて友好的で、武器や兵力に関する情報、世界情勢について包み隠さず話しています。

中でもハンジの度肝を抜いたのは、マーレが空を飛ぶ技術を戦争に利用しているという事実でした。少し前の回で僕は「航空力学の知識が皆無のパラディ軍がどうやって飛行船を調達・運用しているのだろうか?」という疑問を呈しましたが、その正体はこれ。予想通り、マーレの反体制派ないし第三国からの横流しで、技術者も外国人です。

彼らは無線通信、オートマチック拳銃、港といった技術や外交の概念をパラディへもたらします。それによりパラディが外敵に対応する能力は飛躍的に向上し、生活も豊かになります。

もともと反乱分子であったオニャンコポンが積極的に技術を供与するのは当然として、捕虜にされたニコロや他のマーレ工兵たちも、パラディ民と接し同じ釜の飯を食ううちに徐々に打ち解けていきました。その様子をアルミンは感じ入り、「人同士向き合えばきっとわかり合える」と清らかな瞳で語っています。

マーレの兵士たちも同じ感情を持った人間であることを肌で確かめ、アルミンは戦争行為そのものに対する疑問を口にしはじめます。果たして武力で世界を脅すことでしかエルディア人は自衛できないのか?話し合って誤解をなくせば平和になるのではないか?

反論するエレンは、友好的なのはほんの一部に過ぎず、多くの捕虜は収容所に入ったまま。外国から見てエルディアの巨人戦力は脅威であるのは事実で、それを話し合いで融和させるのは容易ではないという主張。

時間をかけて粘り強く接触すればいずれは仲良くできるかもしれないが、それには相応の時間が必要。それはアルミン自身も、肉体言語担当のミカサでさえも理解しています。とても残念なことに、アルミンとエレンはユミルの呪いを受けたせいでその時間が残されていないのです…。

ジークの伝言

マーレ戦士を束ねるリーダー役でありながら、その腹ではいつのまにかエルディア復権を志すようになったジーク。実の両親をマーレに売った後心変わりした経緯はまだ分かりませんが、その彼が己のシンパを調査部隊へ送り込み、パラディへ亡命させて渡したメッセージとは次のようなものです。

【要求】
ジークとエレンを引き合わせること
【対価】
パラディ島の安全保障
武器や最新技術の提供
エルディアに友好的な国との橋渡し
マーレへの情報工作の支援

加えてジークは「始祖の巨人(エレン)」と「王家の血を引く巨人(ジーク)」が揃うことで、ある「秘策」が発動できるとし、エレンはこれに心当たりがありました。

ジークの提案を読み上げるハンジに対し、荒唐無稽で話にならないと突っぱねるパラディ軍上層部ですが、エレンは自らの体験を元にジークの言う「秘策」には信憑性があると発言。ジークはおそらく「地ならし」の発動方法を解明しており、エルディアを覇権国家たらしめる具体案を持っているのではないか、と。

しかし恐らく、このエレンの発言だけでは会議の慎重論を覆すことはできなかったのでしょう。結果としてエレンは独断専行でマーレに潜入し、地理や情勢を調べ上げた上で「オレは今マーレにいる…演説会の日にやるぜ…お前らが助けに来ようが来まいがな…フフフ…◯月◯日だぜ…これは街の地図だぜ…警備兵の配置はこうだぜ…まあオレは一人でもやるけどな…」といった手紙を何度もファルコを通じて反乱分子の拠点へ送らせていたというわけです。

こうして、背中に火をつけられた格好で調査兵団は空を越えレベリオへ侵攻。万が一にもエレンを失うわけにいかないハンジたちはエレンとジークの回収に無事成功し、報復を遅らせるためアルミンは軍港を消し飛ばしてトラウマを抱えこみ、サシャは戦死。リヴァイはエレンにきついお仕置きを加え、さすがのミカサもそれを看過したのでした。

結晶の中のアニ

レベリオ強襲作戦を終え、パラディへ帰投した後。

アルミンが己の迷いを独りごちていたのは、薄暗い地下室。眼前には結晶体の中で眠り続けるアニ=レオンハートがいました。よかった、死んでなかった…!

かつて彼女やベルトルトらがそうしたように、民間人を巻き込んで大勢の人を一方的に殺戮したこと。その行いに一応の悔悟を述べるアルミンですが、しかし最後は「やるしかなかった」と、覚悟した決断であったことを告げます。

これで簡単に心が晴れるならいいのですが、もちろんそんな訳はありません。アニはトロスト区奪還の後、死者を片付けながらごめんなさい…ごめんなさい…と謝り続けました。ベルトルトは同期に責められて逆ギレ、誰が人なんか殺したいと思うもんか!と叫びました。たった3人で敵地に潜伏し周囲を欺き続けるストレスもあったでしょうが、それを除いたとしても避けがたい悪夢が毎夜のしかかるであろうことは想像に難くありません。

だからこそ、アルミンは救いを求めて彼女のもとへ通い、その罪を告白しているのです。眠るアニが何も答えてくれないと分かっていても…。

彼の手には、初めて海を見た日に拾った貝殻が握られていました。幼い日、壁の外に広がる自由な世界を夢見て語り合った幼馴染の関係は、少しづつ変化していきます。今のエレンのことはもう分からないと目を伏せるアルミン。

今号は、アルミンがエレンと道を分かとうとしている、物語の分岐点に打ち込まれた「楔」です。「タクティクスオウガ」のデニムとヴァイスのようなコンプレックスからくる確執のこじれではありませんが、もう少し理性的に「方向性の違い」が顕になろうとしています。アルミンのこの迷いは、いずれ物語の重要な局面で彼らの運命を大きく左右することでしょう。

現時点では叶わぬ話ではありますが、彼らが長生きして中年になれば「MOONLIGHT MILE」のゴローとロストマンのような関係になったかもしれませんね。

つづく 

はたして誰が正しいのか?

今回のような、いわゆる右派・左派のような思想を表現する場合に作者が細心の注意を払わねばならないのは、その是非をキャラクターに代弁させる場合です。

作者の政治的思想をキャラクターが主張しはじめ、それがご都合主義を背景に超常的な力で簡単に実現してしまうと、説教臭くて陳腐な印象になります。巧みな作者であれば、作品はあくまで現実世界のメタファーに徹し、白黒はぼかして本質を読者に考えさせるような構成にするでしょう。作中で誰がどう考え、何を行い、どう報われたのか。その結果から教訓を得て学び取るのは読み手の役割であり、作者が主張を押し付けすぎると読むのが苦しくなる…と僕は考えています。

こういった例で有名なエピソードに「大長編ドラえもん のび太の雲の王国」に描かれた抑止力外交があります。

ドラえもんが、地球に害する人類を洪水で滅ぼそうとする雲の国の住人を相手に、一発で敵の国土を消滅させる未来道具を配備して交渉のテーブルに持ち込もうとする。残念そうな顔で「力には力だ」「同じだけの力がないと相手にされないだろ」と語るドラえもん。しかし、ただの脅しのつもりが、悪意を持った人間にそれを盗まれ、実際に雲の王国には甚大な被害が及び、それを自分の責任だとドラえもんは泣き喚く。その後は最終的に戦争は避けられ、講和会議で平和が訪れる…というのが主なポイントです。巷では「力には力だ」のコマだけ切り抜かれて独り歩きしている感がありますが、物語としては話し合いで決着しています。

これをもって藤子・F・不二雄先生の思想はいかなるものか?と問う向きもありますが、それはナンセンスであり、現実世界の出来事を子供向けに要約したこの寓話をもって、何を考えるかが大切なのではないでしょうか。

今号でいうなら、アルミンがサシャの死を悼む場面。

戦うことを選べば当然犠牲が出ます。食い意地が張ったギャグパート担当の彼女が、何人もの兵士を射殺し戦果に貢献する。その報いとしてガビに撃たれ、食い物への未練を言い残してあっけなく死体になる。巨人との死闘を幾度となく生き延びたのに、死ぬ時は銃弾ただ1発。その事実は、多くの読者の心に何らかの引っかかり・ノドの小骨を残したことでしょう。

彼女が死んだと聞いてもクックッと笑いを押し殺し、さしてショックが見えないエレンを前に、彼のことがわからないと疑問を感じはじめるアルミンの肩を持つ余地が読者には大いにあります。

しかし、それは話の枠外から神の視点で俯瞰しており、戦争の歴史を教科書で学んだ現代の我々にこそ許された特権です。まさに争いの渦中、肉親を目の前で失い、戦火に巻かれる壮絶な経験をしたことのない僕には、およそ身を呈し生涯を戦いに殉じる彼らの立場を心から実感することはできません。

まして己の寿命があと数年しかなく、それまでに何を為せるか常に自問しているであろう彼らの心境を、昼までゴロゴロ惰眠を貪り漫画とゲームで気づいたら夜になってるような僕が、ポテチをつまみながら「わかるわ~、この作品深いわ~」などと安っぽい共感を口にしてはならないのです。

一つ言えるのは、政治的思想に関係なく、「既存の枠組みを疑おうぜ」「自分で考えようぜ」「とにかく行動しようぜ」というのがこの作品が一貫して呈しているメッセージだということです。今号にも久々に出てきました。「戦わなければ勝てない、戦え」とエレンが鏡の自分に言い聞かせるセリフ。行動しなければ何も起こらない。生きることは行動すること。それぞれが考え、行動した末に生じるのが人生の物語だということなのでしょう。

個人的には、信奉するジークに裏切られた格好のガビ、加えてエレンに利用されたファルコらがパラディで何を見、既存の枠組みを揺さぶられ、その果てに何を考えて行動するのかがとても楽しみです。

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別冊少年マガジン(毎月9日発売)で連載中、
「進撃の巨人」のネタバレ感想ブログです。

ネタバレには配慮しませんので、ストーリーを楽しみたい方はご注意下さい。

※フラゲ速報ではありません。本誌発売日の夜に更新することが多いです。

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